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わたしが「愛」というものの存在を感じれる瞬間。

それは、おじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いで街を歩いているのを見掛けたとき。

身体の関係などなくともお互いを必要とし、何年も何十年も一緒に日々を過ごしている。

欠点や汚い部分も見ていて、何もかも知り尽くしていて、新鮮さはきっとないはず。

飽きててもおかしくない。

それでも尚、手を繋いで街を歩き幸福感を振り撒けるだなんて…

想像を絶する世界だ。

わたしなんて、いつだって虚しくて怖くて欲張りで…体内でも相手の温もりを感じていたいと願わずにはいられないのに。

もしも…

その行為が、ものすごく痛くて辛いことならば、体内で温もりを感じながらも胸を張って「愛してる」ってわたしは言えたんだろう。

でもそうじゃないから言えない。

肉体的に快楽を伴う行為がなくなるまで、わたしは「愛」を理解出来ずに生き続けるんだ。

かといって、わたしは絶望してるんじゃない。

むしろ希望期待に胸を膨らましているくらい。

おじいちゃんとおばあちゃんの間には、不安も不満も存在していないと思うし、信頼と安らぎに溢れいつだって支え合って生きているんだと思うよ。

それは、たくさんの覚悟を飲み込み、たくさんの試練を超えて来たからこそでしょう。

わたしが一番、「愛」というものの存在を感じれる瞬間。

それは何年も何十年も連れ添った相手と、手を繋いで街を歩いた時だ。

だからその時の為にも、今は今で精一杯、安堵の甘い蜜を吸って、深い深い穴を埋めて生きていたいと考えている。
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