信頼することに根拠なんてない

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↑好きな写真を1枚選んでみました。

誰かを信じるとか、頼るとか、そういうのって賭け事みたいだなぁ〜と今までずっと思ってきた。

期待をしてみるけれど、外れることも少し覚悟もしていて、赦せる余裕を自分に持たせておいてる。

その考え方が変わったわけじゃない。

けど、少し違う感覚を味わったからそれを今日は書きたかった。

ごちゃごちゃ考えたり詮索しなくても、信頼出来ている相手というのが居ることに気付いたんだ。

本気で信頼してしまう相手というのは、“ココ”という自分の譲れない部分が理解し合えるとか、そっくりな相手だと思った。

多分、自力では変えにくい短所とかもね。

性格や表面的なところ、普段の思考や人間関係に埋れた時の立場などなどが違っても、性別が違っても、年齢が違っても、“譲ることができないココ”が同じならばそれでいいみたいだ。

信頼する

というのは今まで

『あの時わたしがこうしたら、ああしてくれたから、この人は信じれる』

みたいな経験や過去が根拠となって成り立つものだと思っていた。

まあ、それも大いに正しいと思うのだが、それって割と薄っぺらい´д` ;

ちょっとした予期せぬ行動をされたりでもしたなら、裏切られたような気になり一気に壊れてしまったりする。

気が付いたら完全に疑うことをしていなかった

…という信頼出来る相手を見付けたら、その人はとても貴重な相手だと思う。

信頼なんて結局は人間同士のことだから、人間性も勿論あるんだけど、合うか合わないかってところなんだよなぁ。

わたしはいつも、どんなことにも、意味や理由や根拠など…ひとつの答えを求めてしまう。

根拠のない信頼というのも、きっと、新しい答えなんだろうな。

自分が信じたものをもっともっと大切にしよう。



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