御清めの塩について考えてた

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幼き頃、パパがどこかの御葬式から帰ってくると「お塩かけるー‼︎」と元気よくパパにお塩をかけました。

「オバケがついてきちゃうからお塩をかけるんだよ〜。」
と、言われた気がしてます。

それから何十年も特に深く考えたことがなかったのだけど、実際に玄関で1人お塩を手にした時、なんとなく違和感を感じた。

「なんで“御清め”っていうんだろう?汚いものに何ひとつ会ってないのに。」

で、色々調べてみた。

死 というものを穢れ(けがれ)として捉える考え方があるみたい。

当人の死 について穢れと考えるトコロもあれば、その死をきっかけに集まってくる霊を穢れと考えるトコロもありました。
あとは、死というものは伝染するものだから、とか。

なんだかやっぱり納得がいかなかった。

だって、嫌いな奴が家に来たら塩まけーー!とか言うじゃん。

嫌いな人じゃないのに。

なんで塩。

なんで御清め?

暫くの間、玄関先で悩んでいました。

そしたらこんなのを見つけたのです。

穢れを“気枯れ”と字を変え、大切な人の死 に対して気持ちが枯れること、つまり落ち込んでしまう気持ちを、祓い清める!…という考え方!

そこまで調べて、やっとお塩を振る気になりました。

肩と背中と足元にぱっぱ。。。

やっと家に入れた。笑

死 は、生を感じる為の素晴らしいものだ、という考え方もあり、その場合は御清めの塩自体に反対しているようでした。

子供の頃から、御清めの塩をかけることは約束だったから、それに逆らうことはなんとなく怖くて出来なかったんだけど、死は素晴らしいものだという考え方も素敵だなぁと思った。

…素敵なんて言っちゃいけないのかな。

でも、死を見詰めるからこそ、生についてきちんと向かい合えるんだと思ってさ。

しかしなんだか、大人になってから気付いたけど、なんとなく決まり事だから例にならってやっている…事が多い気がするなぁ。

何故そうしているのか、わからないままにやっていて意味あるのかな。

昔の人には当たり前の事が、異様な行動に思えてしまったりする現代。

何が正解なのかなぁ。

例えば気持ちが篭っていれば、なんだっていい気がするんだ。

だけど、気持ちが篭っていることの表現方法に有る程度の決まりがあって、その型から抜け出すことはなかなか難しいことなんだろうなーーとも思います。

自分にやれることを精一杯に出来るようになりたいけど、気持ち……気持ちが絶対に大事だなって、思います。

もしも周りから批判されても、きちんと気持ちがある人間でありたいです。



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